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劇場でのマナーとは

劇場では日々さまざまな映画が放映されているものです。劇場では毎日放映スケジュールに沿ってその時公開されている作品や、特別に放映することになった旧作などを公開しています。

それを楽しむためにはまずは劇場に足を運ぶことが必要です。映画館の放つ独特の空気は、何度足を運んでもさまざまな芸術が披露されているという期待に満ちたものになっています。そこを行き交う人々はさまざまな表情をしています。胸にはそれぞれ、さまざまな感情を抱いていることでしょう。それはこれから作品を楽しむぞ、という期待に満ちたものであったり、とてもおもしろかった、という満足感に満ちたものであったりするでしょう。それらの人々が発する雰囲気と、多数のスクリーンを抱えた劇場が持つ独特の空気が、私たちの感じるシアターそのものの空気です。

扉を開ければ各スクリーンでそれぞれの作品が公開されていて、その世界にどっぷりと浸かっている人がいます。それぞれの作品が別の世界を放っていて、それらすべてに心動かされる人がいるのです。「映画」は総合芸術であり、それを楽しむための場がシアターなのです。芸術を楽しむ場には、そのような崇高なオーラがあるものです。

ですから、いざその場に足を踏み入れたのならばその場のマナーに準じることが必要です。自分は楽しみに来た、だから自由にしていいんだということでは、他にも楽しみ来た人に対して迷惑になってしまうかもしれないのです。モノの楽しみ方は人それぞれで、価値観もさまざまであることは否定しませんが、だからこそ定められた「マナー」というものがあり、それによってさまざまな価値観を持った人が等しくその作品を、その場を、その時を楽しむことができるのです。

劇場で守らなければいけないマナーはシンプルです。同じスクリーンを沢山の人と共有するわけです。まずはそれが「見えない」、「見えづらい」ということを誰かに引き起こしてしまっては論外でしょう。「観る」とは「見る」ということです。「見えない」となれば、まったく映画を鑑賞する意味がないのです。ですから、後ろの人や隣の人、つまり周囲の人が「観る」ための邪魔をしてはいけません。そして、その作品にはさまざまな「音声」が収録されていて、その作品を形作っているのです。ですから「聴こえない」ということも論外です。流れる時間のすべての「音」がその作品です。ですから、それを聴くことを阻害するような行為も論外です。これはまず最低限のマナーです。

それらのことを実践するためには、「中座しない」ということも重要です。2時間あまりを同じ席で過ごしためには、体調の管理、具体的にはトイレに行かないなどの配慮も必要でしょう。

「場を共有する」ということには「責任」がついてまわります。その責任はその場にいる人が等しく負っているものであり、その場での共通言語のようなものです。ですから、それが守れないような人なのであれば、その劇場に足を踏み入れるべきではないのです。それが理解できる人、マナーを順守できる人に、劇場は開かれています。それを理解しましょう。芸術は誰にも開かれていて、誰もが楽しむ権利を持っているのです。

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