映画の素晴らしさ

トップページ > 原作と映画の違い

原作と映画の違い

映画専用に作られたストーリーもあります。映画にすることを前提で考えられた物語が沢山あります。それは「脚本」というものでまずは再現され、「台本」というカタチで演者に共有されます。

監督が脚本を書く場合もあります。自分が考えていた世界を具現化したいから、何かを世の中に伝えたいから、それをストーリーに置き換えて映画に再現するということです。そのようにして作られた映画は沢山あり、細かい映像から伝わるものすべてが、その作品の意味です。その人は映画を通じてクリエイティブしたわけです。音楽でも絵画でもなく、演劇でもなく、小説でもない、ただ映画としてそこに再現したのです。それは手段でしかなく、より人が理解しやすいものでもあり、私たちは自然にそれを受け入れているのです。

ですが、表現方法は映画だけではありません。何か物語を考えたいのであれば、その手法はひとつではないのですそれは漫画かもしれません。小説かもしれません。また、自分で映画にすることまではできないものの、脚本は書くことができるのかもしれません。そのような「映画ではない媒体に記録された世界」を、映画に置き換えるということも一般的です。そして、「脚本」単体でない限り、それはすでに世の中に発表されているかもしれません。すでに映画とは違うカタチで世の中の人に触れられているかもしれないのです。すでに知られた物語、すでにあるひとつのカタチで完成された世界であるかもしれません。

そのような作品を映画に置き換える場合、すでに完成された世界を再構築する場合、原作と違う点が生じるのは仕方がないことなのかもしれません。映画に置き換えるということは、限られた時間の中で、スクリーンの中にその世界を投影し直すということであり、映画だからできることと、逆に小説や漫画にしか出来ないこともあるのです。特に「漫画」が原作である場合、一度ビジュアルとして構成された世界、キャラクターが存在していて、すでにそれが認知されているのです。それをどのようなカタチで再構成するのかはケースによりますが、実写化する場合は特定の人材、特定の俳優にキャラクターを置き換えなければいけません。その時点で原作とは違ったビジュアルになるのです。

また、小説の場合は読者それぞれの中で世界が構築されています。それは漠然としたものであっても、確固たるイメージであっても同じです。一度読んだ人の中で構築された世界なのです。それを誰かが映像に変換するのですから、その「誰か」のフィルターを通ります。その結果、ある読者のイメージ通りであったり、全然異なったものであったりするかもしれません。それが人によっては「違和感」になってしまうかもしれないのです。原作とは全然違うイメージを持ってしまうかもしれないのです。

それは「原作があること」の宿命でもあり、ある意味では避けられないことなのです。それでもひとつの作品として、映画というひとつの芸術として成立させなければいけないのが監督であり、制作者です。原作のある作品は賛否両論わかれることが多々ありますが、映画を映画、原作を原作として楽しむのがいいのではないでしょうか。

↑ PAGE TOP