映画の素晴らしさ

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二時間の理由

映画のイメージとして、「二時間である」ということがまず挙げられます。どうして二時間なのか、それにはさまざまな理由があるのではないでしょうか。

現実の技術としては、6時間ノンストップの作品を作って、それを放映することは可能です。リアルな「テープ」ではなく、電子データとして収録が可能になった現代では、「時間の制約」などはないようなものです。作ろうと思えば、24時間ノンストップの作品すらも作ることができるのです。ですが、そのような作品があったとしても誰も観ません。それはなぜでしょうか。

それは私たちの集中力の限界も挙げられます。4時間ずっと同じ作品を見続けることなど、私たちにとっては苦痛なのです。人の集中力というものを考えて見てください。私たちは普段、一日の大半を仕事に費やしているかもしれません。毎日同じことの繰り返し、毎日同じ仕事の繰り返し、忙しい毎日を送っています。ですが、ずっと同じテンションで、同じ効率で、仕事を続けているわけではありません。時には休憩し、時には談笑しながら、なるべく効率を保ちながら仕事をしているのではないでしょうか。もちろん人にもよります。時間が経つのを忘れて没頭できることに携わっているのであれば、4時間でも5時間でもその場を離れずにその物事に集中できるかもしれません。気づいたら夜になっていた、気づいたら朝になっていたということも、人によっては多々あるでしょう。

ですが、一般的には「休憩」は必ず必要です。これも人によりますが、「タバコを吸う」ということが休憩になる人もいます。「一服する」という行為です。それらのスパンを平均してみましょう。どれくらいおきにタバコが吸いたくなるのか。

「2時間」というのは妥当ではないでしょうか。

もちろんこれは絶対値ではないのです。「人による」のです。人によっては1時間おきに一服しないと気が済まないという人もあるかもしれませんが、そのような人は映画館で映画を楽しむということはできないでしょう。だいたい誰でも集中してそれを楽しめる、だいたい誰でも離席すること無くその作品を楽しめる、それが「2時間」という目安です。また、人である以上「尿意」を催すこともあります。ただ、2時間であれば、うまく調節すれば一度もトイレに行かず楽しむことができるものです。

ずっと座って楽しめる時間、他のなにも気にせずに没頭できる時間のアベレージが、2時間です。これが3時間になると、途中でトイレに立つ人を散見することがあります。それは生理的なことですし、誰も止めることができないことです。ですから2時間という時間が映画のひとつの目安であることは、やはり妥当なのでしょう。それが古来続く基準として、続いています。かのVHSも、「2時間続く番組を録画するため」に技術開発されたものでした。それは「2時間の映画を一本で録画できるように」ということでもありました。技術が定めた時間ではないのです。作品として集中して楽しめる時間の目安が、2時間だったのです。それは長年培われてきた経験から導かれたものでもあり、私たちが人間である限り変わらないことなのかもしれません。映画はだいたい2時間、それはずっと続くのではないでしょうか。

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